窓際少女録

女の子にしてほしかった

優しい人にわたしは向いてない

 

 

 

 

それはなんてことない日

夕方 仕事を終えて家に帰る途中、蹴りやすそうな石が目の前にあったのでそれを蹴りながら帰った。

そしたら目の前から小学生の子供たちがわたしと同じように石を蹴りながら歩いてくる。

わたしは恥ずかしくなり石を蹴るのを咄嗟に止めた。今思うと何が恥ずかしかったのだろう。

 

 

同じ帰り道、わたしが歩く反対の歩道を子供を抱えて歩いている女性がいた。

その日は季節外れの少し暖かい日だった。

女性に抱きかかえられながらすやすやと眠る子供。その女性の肩には子供が着ていたであろう小さなパーカーがかかっていた。

わたしもああやって母親に抱きかかえられていたのだろうか、わたしの母親はいま何しているだろうか、親孝行なんてしていないなあとか在り来たりなことを考えた。

 

その時ふと強い風が吹いた。

 

女性の肩からするりとパーカーが地面に落ちる。

その女性は落ちたことに気づかず歩を進めた。

それに気づいたわたしは考えるよりも先に身体が動いた。

反対の歩道に向かってわたしは飛び出した。横断歩道も信号もない道路。

もちろん車に轢かれない自信があった。でもそれはわたしの中だけの話で、法定速度を守って走るトラックに思いっきりクラクションを鳴らされた。

 

 

心臓がドクドクする。わたしは走ってその女性に落ちたパーカーを届けた。

女性はお礼を言うわけでもなく、ただわたしに驚いたような表情で「ああ…」とだけ言って去っていった。

別にお礼を言われたかったわけでもない。わたしはその場にいる空気に耐えきれず無言で走り、帰路についた。

 

いま思うと渡すのに急ぐ必要もなかったし、届けるだけなら十分に間に合う速さで女性は歩いていた。

 

お気に入りのレザージャケットに汗を垂らしながら家に着き、少し落ち着こうと思ったわたしはジーンズの後ろポケットに入れていた煙草を取り出そうとした。

けど煙草は入っていなかった。きっとさっき走った時に落としたのだ。

 

「なんで誰も拾ってくれないんだよ…」

 

そう思ったがすぐに止めて、わたしはまた家を出てコンビニに行き煙草を買って、歩き煙草をしながら家に帰った。

 

 

 

 

 

 

 

おわり

場所を取るだけの思い出はいらない

 

 

12月になった。今年も終わりだ。

 

今年は色々あった。会社も辞めた。

毎日が充実しているかと言われたら全くそんなことはない。

ただ全くつまらないかと言われたらそんなこともない。 

 

 

ストレスが少なくなったかわりに、人としてのせわしなさはなくなった気がする。

考え方も大人になるわけでもなく、ただどんどん年老いてきた感じだ。

 

 

美味しいもの、食べたいものがあったら迷わず食べたほうがいい。お金があるなら食べた方がいい。食べたくても食べられない時が来てからじゃ遅いんだからと、今の職場にいるダイエット中の女の子に訴えかけているところだ。

 

そういうわたしはグミを食べるだけで一日を終えたりしている。

 

精神的に参っているから食欲がないというよりは、生きる活力が減ったことによる食欲のなさな気がするのでそこまで心配はしていない。

 

街中で美味しそうなお店を見てもよだれは出なくなったし、薄味が好きになった。

ただ今は少しお酒が美味しく感じて煙草の味が舌に乗る感じがする。

今はそれでいいかなと思っている。なんとなく色んなことを諦めがちになっている気もする。でもいいんだ。 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

基本的にわたしは休日はひとり家に引きこもっている。

することと言えば、YouTubeでお笑いを見たり、好きなゲーム実況を見たり小説を読んだりTwitterを眺めて時間を潰している。

食事は基本インスタントラーメンかコンビニ弁当、たまに出前ぐらい。

たまに自炊しなきゃと思うが1日と持たない。自炊する労力とお金と栄養を天秤にかけた時にめんどくささが圧勝する。クッ○パッドを見ても材料を用意するだけで一週間ぐらいかかりそうだ。そもそもエシャロットってなんだ。

 

 

やることも尽きたし、今年も終わると思ったので部屋の掃除でもするかと何の気なしに思い立った。

見栄を張るわけではないがわたしの部屋は綺麗だ。なぜかというとそもそも物が少ないから。かっこ良く言うとミニマリストだ。かっこ悪く言うとただの貧乏だ。

 

 

それでもクローゼットの中やら、最近使っていない鞄の中は散らかっていた。

久しぶりに遮光性能だけは高いダサいカーテンを開けて掃除をした。

 

ミニマリストと言ったが本当はわたしは物が捨てられない。

この捨てられないのはゴミが捨てられないというわけではない。

思い出がくっついている物がとことん捨てられないのだ。

 

 

友達と行った遊園地のチケット。

幼馴染と昔行った骨董品屋さんで買った気持ち悪い置き物。

中学時代好きだった先輩とのやり取りのメールが入ったガラケー

その大好きだった先輩とやっと行けたデート(わたしがデートだと思っていただけ)でふたりで撮った「ずっと友達!」と落書きされたプリクラ。

好きな人と映画館に行った時に何気無く持ち帰った好きでもない映画のパンフレット。

居酒屋に行った時に元恋人が割り箸袋で2秒で作ってくれた箸置き。

最後に付き合った人からわたしの誕生日にもらった財布。

わたしの鼻水が止まらないからと見兼ねた元恋人がくれたポケットティッシュ。これはさっき捨てた。汚いし。

 

普通(?)の人なら多分全部捨てられるだろう。というより気づいたら無くなっているものばかりかもしれない。

 

 

 

 

 

わたしがもし親になって、我が子がなにかわからないけど大事そうに持っているものがあったら、なんでそんなもの持ってるの!早く捨てなさい!なんて言えないだろうな。

いやそもそも親になる心配をする必要がなかった。

そもそも恋人もいないし、好きな人もよくわからないし。

 

何よりわたしの子供なんて…ないない…無理無理

 

 

 

………

 

 

………

 

 

 

 

 

 

 

 カーテン閉めよ

 

 

 

 

 

おわり

 

片想いをやめる瞬間はいつですか

 

 

 

わたしには好きな人がいる。

でももう好きではないのかもしれない。

 

 

 

 

自分はまだ若いけど、若すぎると言われるような年齢ではなくなってしまったなと最近感じる。

そうして大人になるにつれて恋愛がなんなのかわからなくなる。

 

昔はどうやって人のことを好きになっていたんだっけな。

例えば学生時代は 同じ学校で、同じクラスで、好きな人をひたすら目で追いかけたりしていた。

 

子供の頃は会う理由を作らなくても、なんとなく好きな人には関われる環境だったような気がする。

そもそもわたしが身近な人ばかり好きになっていたのもあるとは思うが。

 

だとしても大人になってからは、何かと人に会うには理由がいるようになった。

社会人として頑張れば頑張るほど学生時代とは”休日”の重みが全く違う。

普通の人はだいたい週に2回休みがあって、忙しい人は週に1回しか休みがなかったり、月にほぼ休みがない人もいるだろう。

 

その貴重な休みを割いて 人に会うのがほとんどだと思う。

ただでさえ毎日疲れているのに嫌いな人や面倒な人に会いたがる人なんていない。

それが尚更異性と2人っきりだったらどうだ。

 

いい歳して”デート”なんて言葉を使いそうになってそっとその言葉を飲み込む。

 

 

付き合うことのハードルが高くなったのはいつからだったかな。

付き合うことに意味を感じなくなったのはいつからだったかな。

付き合う前にセックスすることに抵抗がなくなったのはいつだったかな。

 

 

そんなことを考えているうちに 自分がひとり取り残されていく気がしてとても怖い。

孤独が強まれば強まるほど”好き”と”依存”の違いがわからなくなる。

 

 

人に好かれることによって自分を認めて欲しい。

そうでもしないと前が向けない弱い身体になってしまった。

 

 

好きな人から今はもう返信が来なくなった。

もともと舞い上がっていたのはわたしだけだったのかな。

わたしには周りに人が少ない分、ひとりの人を見つめる時重くなってしまう。

けどそもそも好きな人はわたしに対して最初から深い感情なんて抱いていなかったのかななんて考えてまた悲しくなった。

 

 

 

「忙しくてなかなか時間が作れない」なんてとても真っ当な理由だと思う。

でもそれを言われると自分の中の気持ちが冷めていくのが手に取るようにわかる。

 

「時間を作ってでも会いたい人」になりたかっただけなのに。

 

 

 

今はわたしのこと気にしてくれて、可愛いって言ってくれて、いつも連絡を取り合ってくれる人がいて、やっぱりそんな人にどんどん惹かれていってしまう。

 

その人のことが今は好きになりそうな自分がいる。

 

そんなわたしを浮気者という人もいるのかな なんて思ったけどそもそもわたし誰からも好かれていないのに浮気も何もなかったね。誰にも想いを伝えていなかったね。

 

 

今日はいつも以上に家のベランダが狭く感じて、寂しくて、たばこの煙が目に染みる日だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

わたしが期待されている

 

 

最近わたしはめずらしく働けているなと思う。

 

以前は朝起きるたびに、会社に向かうたびに生きるのが辛くなっていた。

 

いまはちょっとだけ違う。

自分が生きることを許されているような気がする。

それはもう大袈裟でもなんでもなくて朝起きて仕事をしに家を出て、それなりに人と会話をして家に帰って寝ている。

 

 

と言ってもわたしは正社員でもなんでもない。

ただのアルバイトとして今は早朝から夕方までとある飲食店で働いている。

そこでは色んな人が働いている。店柄のせいか女性の方が圧倒的に多い。その中でわたしと同い年の人もいれば年下の大学生もいる。主婦だっているしバツイチの独身女性もいる。店長にいたってはわたしとほとんど年の差はない。

 

店の規模が大きいこともあってたくさんの従業員がいるなと個人的には感じた。

 

だからこそ色んな人間関係の面倒くささとか陰口だとか嫉妬だとか単純な嫌がらせとか、全部が全部本当に些細なことばかりだけどやっぱりそういうものが存在してて、どこも一緒だな なんて大した人生経験もないけど思ったりしている。

 

 

そこでわたしは働いて3ヶ月が経とうとしている。

仕事内容は飲食店とはいえ覚えることがたくさんあって、こんなこともするのかなんて驚くことの方が多かった。

けどわたしは学生時代も似たようなアルバイトをしていたおかげもあって仕事は他の人に比べて早く覚えることが出来たように感じた。

そもそも週5 週6で働いているわたしみたいなフリーターは少なかったので、単純に他の人より短期間でたくさん仕事が出来たおかげでもあると思う。

常連さんの顔もたくさん覚えた。

人に顔を覚えてもらうのはとても怖いけど、わたしの居場所がある気がした。

 

 

 

飲食店には当たり前だけど店長がいて、その下になんとなく副店長がいる。

わたしがいるお店は、その下に時間帯リーダーみたいな人たちがいて、

朝 昼 夜 それぞれひとりが決められている。

 

そこに店長がわたしを選んでくれたのだ。

普通の人からしたら、多分誰でもなれると思う。普通に就職して普通に働いている人からしたら誰でも出来るような簡単な仕事内容ばかりだ。加えてわたしが都合がいいだけだったと思う。わたしは勤務している時間も長いし学生でもなければ家族もいない。

 

 

それでも店長や周りの人には言葉にしてわたしを信頼してくれている。

それが全て嘘で固められた言葉だったとしても、十分にわたしは嬉しかった。

わたしはきっといま人生をやり直してる途中で、少しだけの前進で、そもそもわたしは周回遅れの人生だけどそれでもいいと思えていた。

 

 

きっとわたしはまた色んなことで挫折したりするんだろう。

その度涙を流して、寄り添える人を醜く探すんだろう。

他人と比較し続けるんだろう。

でも死にたいと思った時もあったから 生きてると実感できる瞬間もあるのかもしれない。

 

 

 

朝、風の音だけを聞きながら アルバイト先へ向かう。

店の近くにある自動販売機で100円 120円の缶コーヒーが並ぶ中、わたしは一番端に位置している80円の缶コーヒーを選ぶ。

その時ちょっとだけ涙が出そうになるけど、ちょっとだけ強くなった気がするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

お金がなくてもほんとに幸せになれるかな

 

 

 

 

 

わたしはいまお金がない。

 

正確にいうとお金はあるしフリーターとはいえ働いているのでお給料ももらっている。

 

 

ただ自由に使うお金がないのだ。

 

家賃 光熱費 税金 食費 スマホ代 諸々でわたしの収入は消滅する。

正直何も贅沢しているつもりはない。

食費については1日500円も使っていないと思う。

 

わたしは精神障害があるので当分は正社員として働くのは難しいと病院の人にも言われた。

わたし自身もそうだと思う。

 

 

ただ贅沢が出来ない生活にももうだいぶ慣れた。

正社員として会社でバリバリ働いていた時はたくさんお給料をもらっていた。

けどその分、心をたくさん削っていた。

 

その心を補うようにわたしは買いたいものをたくさん買ったり、いろんなところに出かけたり、美味しいものをたくさん食べていた。

 

恋人ともたくさんデートをした。

 

 

 

でも圧倒的に心が削れるスピードが早すぎるせいで心を補うのが追いつかなかった。

そうして死ぬ一歩手前ほどまでいっていたと思う。

 

 

いまは朝は早いけど夕方前には終わる仕事をしている。

気持ちはだいぶ楽だ。

昔の自分に比べれば何倍も気持ちが落ち着いている。

魘される夜が無くなっただけでわたしはいま人生をちゃんと送っているなと大袈裟ながら感じている。

 

 

煙草を吸う本数もかなり減った。

多い日は1日に二箱吸っていたわたしが、いまは気づいたら「あ、そういえば今日まだ1本も煙草吸ってないなぁ」と夜ふと思う日もあるぐらいだ。

 

 

わたしの生活は自然と収束していって、多くの人はわたしの生活を見て幸せと思わないだろう。

それでもいいかなと。幸せではないけど不幸せでもない。

 

贅沢したことが大抵楽しいのはその時だけで、数年後その記憶がしっかりと残っているかと言われるとどうだろうと個人的には思う。

 

 

ただわたしが贅沢できる生活をストレスなくできるようになったら、また考え方は変わるかもしれない。

 

 

それでも何事も期待のしすぎと贅沢のしすぎはよくない。

まだ自分は若いのかもしれないけど、それでも静かに死に近づいているなと感じる。

 

 

 

けどやっぱりひとりで生きていくのは寂しくて辛いことばっかりだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

 

匂いと記憶の結び付きは幸せだけど 時に残酷にもなるね

 

 

良ければこちらから読んで欲しい。

でも読まなくてもいいです。

liegirl1chan.hatenablog.com

 

liegirl1chan.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

2ヶ月ほど前にわたしは会社を退職した。

 

 

その会社を辞めてから、そこの最寄り駅を自然とわたしは利用しなくなっていた。

 

そんな時に、わたしはTwitterで仲良くなった人と会う約束をした。

久しぶりだった。友達がいないわたしにとってTwitterの人に会うのは貴重な時間だ。

その人とはその日初めて顔を合わせる。

お互いがよく行く場所ということで、わたしのいた前の会社の近くの駅に集まることになった。 

 

 

 

2ヶ月ぶりの毎日通った道。なんとなく胸が痛くなる気がした。

毎日朝利用していたコンビニ、いつもレジをしてくれていた店員さんはいなかった。

いつも涙を流しながら乗った電車、そこの車両の匂いはわたしの苦しんだ過去を思い出すには十分な匂いがした。

 

 

電車に乗り込む。昼間だったこともあり車内は空いていた。

その時わたしは気づかなかったが、いつも座っていた車両を避けていた。前とは違う景色を見たかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

当時会社に行っていたわたしは電車内でよく泣いていた。

当たり前だけど泣きたくて泣いていたわけじゃない。

会社に行きたくなかったのももちろんそうだけど、周りの人の視線を感じるだけで自分は耐えられなくなっていたのだ。

きっと周りの人はわたしのことなんか見ていない。朝の時間帯はサラリーマンやOLだらけだ。みんな毎日同じような時間に電車に乗っている。真新しさなどない。ほとんどの人が自分のスマホを眺めるか、死んだような顔をしてぼんやりしている。 

 

 

わたしのことなんか見ていない。なのにわたしのことを全員が見ているような気がする。

駄目な自分を責められているような気がしてしまう。馬鹿みたいな話だと思う。

でもそう感じてしまうのだ。

 

 

そうなると自然と涙が出てくる。しっとりした涙なんかじゃない、それなりの小さな水たまりができるほどの涙をわたしは流していた。

 

そして車内の一部の人が気づき始める。20代半ばほどの人間が車内で嗚咽しながら号泣しているのだ。わたしだったら助けてあげたい気持ちを軽く上回るほどの恐怖感があると思う。

 

そうなってしまうともうだめだ。

呼吸が出来なくなる。

胃の中のものが全部出てくる。

 

 

そうしてわたしは途中下車を繰り返し、会社を休み、退職していた。

 

 

 

 

 

そしてTwitterの人に会う日にも似たような症状がでた。

電車に乗り込み、猛烈な吐き気がした。目の前がくらくらする。電車が揺れているのか自分自身が揺れているのかわからなかった。

頭がぐらぐらする。

景色がまっすぐに見えない。

眼球が零れ落ちそうなほど視界がわからなくなる。

汗が止まらなくなる。40℃の夏の日にいるような汗の量だ。空調の効いた車内では有り得ない現象が起きる。

 

 

「今日はもう無理かもしれない」と思った。

だけどその時、会う約束をしていた人から連絡がきた。少し予定より到着が遅れそうだとのことだ。

 

わたしはなんとか約束をしていた駅に先に着いた。

駅のトイレに駆け込む。

個室に入りトイレの便座を一点に見つめる。

駅のトイレや公衆トイレは独特の匂いがする。

わたしは逆立ちするような勢いで便器に顔を突っ込み身体中のあらゆるものを出し切るかのごとく吐瀉した。

 

幾分か落ち着いた。

個室は好きだ。人の視線を感じないから。

大量の汗とともにわたしの髪は濡れていた。

汗をなるべく悟られないように帽子を被った。

 

そして約束の時間が近づいていた。

わたしはその人にどうしても会いたかった。

顔もよく知らなかったけどどうしても惹かれるものがあった。

その人は社会人で忙しく働いている人だった。今日を逃したらもう一生会えないかと思い、汗も落ち着かなかったが待ち合わせ場所に向かった。

 

 

着ている服を教えてもらい、なんとかその人に会うことが出来た。

可愛らしく、よく笑う人だった。

そのまま話をしていた喫茶店に向かう。当たり前だが初対面のため、相手はわたしの顔をよく見てくる。本人にそんな意識はなかったかもしれないがそう感じた。

 

そこからどんどん汗がまた止まらなくなってくる。

その日は過ごしやすい気候だった。

これじゃあただのウブな人間が緊張しているだけじゃないか。

 

そこの喫茶店はいつも通り少し混んでいたが、5分ほど待てば入れる。そう思い2人で列に並んだ。

その時2人で会話をしたことをほとんど覚えていない。

汗が止まらない自分と、襲ってくる吐き気、緩む涙腺にわたしは列に並び続けることが出来なかった。

わたしはたまらず、喫茶店のトイレに駆け込んだ。

 

最悪の出だしだ。初対面の人とロクに話をせずに列に1人で待たせたのだ。

それでも目の前で吐かれるよりはマシだと思った。

 

けど喫茶店のトイレだ、何個も個室があるわけがない。たったひとつの個室は先に誰かが入っていた。

 

 

吐く場所がない、けど待たせすぎては列に並んでいる順番がきてしまう。

相手の人はその喫茶店が初めてだった。尚更ひとりで行かせるわけにはいかない。

 

大量の汗をかきながらわたしはトイレをあとにし、列に戻った。

 

 

そしてすぐに席に案内されお互い対面で座った。

わたしの顔を見ないでくれ。

汗に気づかないでくれ。

手の震えに気づかないでくれ。

嫌いにならないでくれ。

 

そう思いながらわたしは相手の顔をロクに見ず会話をしていた。

 

 

 

そこでわたしたちはケーキを注文した。

わたしは甘いものが好きだし相手も甘いものが好きだとのこと。

 

わたしが店員さんに声をかける。わたしの声は広い店内で届かない。

そうしたら相手の人が代わりに店員さんに声をかけてくれる。簡単に店員さんが来てくれた。

 

 

 

ケーキは美味しい。当たり前だ。わたしはこの匂いに何度も救われていた。

震えた手で周りのフィルムを剥がし、フォークでフィルムについたクリームを取るのを躊躇い、やめた。

 

 

相手の人は自分の話もするし、わたしの話も「うん うん」と頷きながら聞いてくれる。

わたしのほうが年上なのに何となくそこで悲しくもなった。 

 

 

話をしていたら徐々に気持ちも落ち着いてきた。

相手の顔も見れるようになってきた。

わたしは間違いなくその時の時間を楽しんでいたし、あっという間に時間が過ぎていた。

 

「いちちゃんのネガティブなところもわたしは好きだよ」

と言ってくれた。何を察して言ってくれたのか。何も考えずに言ったのか。本気なのか冗談なのかわからなかったが、わたしにはとても嬉しかった。

 

優れているところを褒めてくれるよりも、自分が気にしているところを見つけてくれて、それを責めるわけでもなく認めてくれるのが嬉しかった。

 

 

そのまま喫茶店をあとにし、お酒を飲みに別の店へ移り、なんてことない話をたくさんした。

その時にはもうすでに、今日の来るまでの道のりのことは忘れていた。

顔も見れなかった相手の顔に夢中になっていた。 

 

 

美味しいものも食べれて、少し時間が余ったので2人で街をたくさん練り歩いた。

どこの店に入るわけでもなく、何か目的があるわけでもないけどたくさん歩いた。

 

こういう時間が好きだ。わたしはずっと思っていた。

相手の人も同じことを思っていてくれたらいいのにと。

 

 

2人で歩いた道はまたわたしの中で新しい匂いで塗り替えられた。

きっとまたここに来る時に苦しい気持ちになることはないかもしれない。

 

わたしはひとりでいることが多い、けど決して人と一緒にいることが嫌いなわけではない。

そうやって誰かと一緒にいることで楽しさとか幸せとかを感じられる。

 

 

 

またそんな時間を過ごしたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

 

パニック障害だって生きていけるよ

 

 

 

 

 

 

パニック障害』の人、あなたの周りにはいるだろうか。

 

わたしは紛れもない『パニック障害』だ。

 

 

 

 

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わたしが初めて入社した会社は、とても大きい会社で社会人であれば知らない人はいないであろう会社だった。

 

その当時は自分のやりたいこともあったし、自分に合っていると思い、その会社に決めていた。 

 

 

 

 

最初は調子が良かった。

初めはたくさんの同期がいてみんな勤務地は全国バラバラになったけど、

それでもみんながいてくれれば頑張れそうだなぁとふわふわ思っていた。

 

 

優しい先輩も多かったし、上司は皆あたたかいひとたちだった。

 

 

でもそれは全部「最初だったから」

 

そんな優しさもあたたかさも全部きっと嘘だったんだ。

嘘じゃなかったとしても、社会人としてみんな無意識にわたしに嘘を向けていたんだ。

 

 

「どうだ?仕事楽しいか?」

「最近頑張ってるな、その調子で頑張れよ」

「なんかあったらなんでも聞いてね」

 

全部優しい言葉だ。今思い返しても涙が出そうになる。

 

 

わたしの仕事は本当にざっくり言うと、特定の地域のエリアを持って仕事をする営業だった。

 

 

他の社員の人たちもそれぞれのエリアを持っている。

なので自分のエリアで起きた成果は全て自分のものだし、逆に言えば起きたトラブルも自分で解決するしかない。

 

 

当時は同じ仕事をみんなで協力してやるよりも、自分の決められた範囲が決められていたのでわたしの性格には合っていてやりやすいなと思っていた。 

 

 

 

そうこうしているうちにあっという間に1年が経っていた。

休みは週二日をうたっていたが現実は任される仕事が増えれば休みなんてものはほとんどなかった。

会社と自宅は近かったのもあり、毎日のように残業をしていた。

 

 

会社自体は特別なブラック企業ではなかったが、仕事柄ブラックにならざる負えないような状態だった。それも承知でみんな働いていた。

 

 

わたしは事務所で一番残業をしていた。それも当たり前だと思っていた。

周りよりも仕事が出来ないのだから、効率が悪いのだから人よりもたくさん時間をかけるしかないと思っていた。

 

 

 

 

わたしは仕事をたくさん抱えていた、お客さんにも取引先の人にも毎日毎日怒られた。

雨の中外で土下座したこともあった。

消えていなくなりたいと思った。

アスファルトに膝をつけると痛いということを知った。

 

 

学生時代は気づかなかったけど、わたしは人に相談するのが苦手だった。 

 

毎日のように怒鳴られ 仕事を溜め込み、自分で自分がわからなくなっていた。

 

「大丈夫か?」

と聞かれても

「大丈夫です。」

と答えていた。

 

全く大丈夫ではなかった。

大丈夫じゃない時に大丈夫じゃないです。と言える人が羨ましい。

どうしたらそんな人間になれるのかわたしにはわからなかった。

 

 

鬱病だとかそんな言葉を知らなかった当時のわたしは、毎日毎日家で泣いてる自分がただ弱い人間なんだと思っていた。

確かに弱い人間なんだけど、それとはまた別に心も身体も崩壊していた。

 

 

 

外回りから会社に戻って、事務作業をしていると、自分の意思とは関係なく涙が流れていた。

それでもさすがに周りに他の社員がいる中、泣いている姿を見せることは出来なかった。

 

会社のトイレで何回も吐いた。

目を真っ赤にして自分の席に戻った。

会社にいることが耐えられず、煙草を吸いに行くふりをして会社を飛び出して外で思いっきり泣いたりした。

 

 

会社の電気が全て消えてからわたしは会社に戻り、真っ暗の席で仕事をしていた。

 

 

そんな日々が続き、とある日の朝会社に向かう途中意識が朦朧とし、始めての体験で頭が真っ白になった。

 

 

呼吸ができなかった。

手足が痺れる。

全身が動かなくなる。

 

そうなったわたしは道路のど真ん中で倒れてしまった。

 

 

そのまま近くにいた女性の方に救急車を呼んでもらい、病院に運ばれた。

 

 

 

目を開けると、遠くの実家にいるはずの父親がわたしの目の前にいた。

父親は目を赤くしていた。

いまにも泣いてしまいそうな顔だった。

それでもわたしのために必死に堪えていたように見えた。

 

「ああ わたしはもう駄目なんだなあ」

とベッドの上で思った。

 

そこで初めて

「死にたい」と思った。

 

 

 

その日からわたしは日常的に吐き気が止まらなくなり、食事も取れず、一人暮らしの家に引きこもり続けた。

 

薬もたくさん飲んでいたが、どれも身体に合わず、目の前が逆さまに見える時もあった。

トイレの便器に吸い込まれる夢を何度も見た。

その度にわたしは自分のベッドの上ではなく、病院のベッドの上にいた。

 

 

友達もいなくなった。というよりわたしは全ての友達を拒絶して生き始めていた。

 

 

 

自分の家にいるのも怖くなって、真夜中の公園のベンチで寝たりしていた。

 

人と会話できない。

電車にも乗れない。

わたしは人としての機能を失っていた。

 

 

精神科でもなんども喧嘩をした。

というより自分以外の人間との距離の取り方、会話の仕方、気持ちの伝え方、人と関わることが何もわからなくなり、結果相手に当たることしか出来なくなっていた。

 

 

 

それでも死ねなかった。

その程度で死にたいと思ったの?なんて言う人もいるだろう。

けどわたしには耐えられなかった。

 

「死にたい」

「でも死ねないんでしょ?」

「死にたい」

「じゃあ死ねばいいじゃん」

「死にたい」

「じゃあ死んでみてよ」

 

 

 

生きるのはそれほど辛くない。

ただ生きているとやらなければいけないことが多すぎる。

学生だったら学校に行って学ばなければいけない。

大人になったら働いてお金を稼がなければいけない。

 

みんなそれぞれ進む方向は違うけど、少なくともみんな前に走っているのだ。

みんなが前に走っているのに自分は歩いている。

自分は止まっている。

自分は道を戻っている。

 

 

人は皆、他の人と比較して生きてる。

「比べなくていいんだよ。」

なんて言われても

そんな言葉をわたしにかけた時点で、相手もわたしと他の誰かと比べているんだ。

 

 

人は失敗して成長するなんて言わないで。

失敗して死んだら意味ないでしょ。

誰しもが失敗を恐れずに立ち向かえるわけじゃない。

 

 

 

わたしみたいのはたくさん言い訳して逃げながら生きていくしかないんだ。

でもそれでも生きていけるんだよ。

わたしはみんなと一生比較して生きていくけど、それでもわたしはいま生きていけている。

それは自分の弱さを認めたからだ。

「諦めた」そんな表現に近いのかもしれない。

それでも悪い意味での「諦めた」ではなく、いい意味での「諦めた」である。

 

みんなは前を向いて前に進んでいるけど、わたしは後ろを見ながら進んでいる。そんな感じだ。

 

 

自分でも出来ることを一個一個積み上げて生きていくしかない。

でも多分、いや絶対その積み上げたものはまた崩れるだろう。

それでも積み上げるしかない。

積み上げるのを止めたらそれこそ死んでしまう。

生きることにそんなに意味はないから。

あんまり深く考えずに。

 

 

 

 

明日も思いっきり「死にたい」と呟いて起き上がるんだ。

でもそれを一生繰り返していけば生きていける。

 

 

結局何が言いたかったかわからなくなってしまった。

でもそれでもいいでしょ。

意味なんてないんだから。

「死にたい」なんて言わなくてもいつか死ねるんだから、それまでわたしと一緒に暇つぶししてほしいよ。

 

ここまで読んでいい暇つぶしになったでしょ。

 

意味のないことをたくさんして生きていこうね。

 

それで本当の最後の最後に「死ねたよ」って言えればもう十分だよ。

 

 

「無意味」にも意味があるんだよ。

だからなんだよ。ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり